2012年06月25日

ジュリエットがやってくる(2)

シャンソン界の大物、ジュリエット(Jiliette Noureddine)
が来日するというニュースを知った時、少々興奮しま
した。久し振りに聞きごたえのある歌手の来日です。
今日は、まだジュリエットをご存知ない人のために、
そのプロフィルをざくっとご紹介します。

                        
Pr Blog.jpg

プロフィル

1962年9月パリ生まれ、その後トゥールーズに移転。
祖父はアルジエリアのカビール人で、1920年代に
フランスに移住、父親はサキソフォン奏者。ただ本人は、
特にアルジェリアの影響は受けていないとインタビュー
の中で語っている。

活動期:1987年〜現在
当初はトゥールーズのバーやレストランで、自作のものの
ほか、ジャック・ブレルやエディット・ピアフ、バルバラ
などの歌を取り上げ、弾き語りを始める。

1985年と1986年に若い才能を見出すフェスティバル
Découverte du Printemps de Bourges
(デクヴェルト・ド・プランタン・ド・ブルジュ)に出演、
その後めきめきと頭角を現し、1991年に初のアルバム
Qué Talをリリース。
その頃から一気に才能が開花したかのように活躍を
続け、現在にいたる。その間シャルル・クロ賞を始め、
数多くの賞を受けている。

規格外の歌い手
彼女のことを何とかわかりやすく伝えたいと思い、
何度となく分類を試みたがこれは不可能。
この人は型にはめられないシンガー・ソング・ライター
なのだ。

多様性と意外性
伝統的なシャンソン、詩的・文学的なシャンソン、
政治や社会問題に関与するシャンソン・アンガジェ等...
取り上げている主題の幅は広くて深い。
メロディーもまた多岐にわたっている。
しかも主題とメロディーの組み合わせが意表を
ついている。

ユーモアもあるし、毒もある。意外性もある。
抒情的だった歌がいつの間にか検閲をかけたい
ような歌に豹変しているなど、うかうかとついいくと、
どこに行きつくかわからないようなすごさもあるので
ご用心。

しかしこちらがとまどって「何、これ?」と思うと、彼女は
笑いながら言うだろう ≪No Parano ≫ 
(私、妄想狂ではないよ)

  *No Parano(妄想狂にあらず)” は、2011年に
   発売されたアルバムのタイトル。 
 
   
         
       *******************

デクヴェルトでは少しでもジュリエットを理解して
いただくために、解説会を催すことにしました。
詳しくは別項のお知らせをご覧ください。

                        (2012年6月25日)

posted by yoko at 12:17| デクヴェルト広場

2012年06月05日

元永定正さんと具体美術協会

元永定正氏の個展が、芦屋のAIR SPACEで開催されて
います。詳しくは6月3日付けのブログをご覧ください。
IMG_0586ブログ用.jpg

元永氏は三重県生まれ、、関西で活躍した現代画家です。
見ていると元気が出てくるような形や色づかいの作品を
ご存知の方も多いと思います。

美術には門外漢の私がが元永氏のことを書くのはおこがましい
のですが、「具体」グループとフランスとの関わりを、個人的な
思い出も含めて、少し記しておきたいと思います。

時代背景
1954年(昭和29年)抽象美術の先駆者・吉原治良をリーダー
とする若い前衛芸術家のグループが阪神間に結成され
ました。これが「具体」グループです。

ここには、今も現役で活躍中のそうそうたる人たちが名を
連ねています。元永氏は創設メンバーではないけれと、
初期メンバーのひとりでであり、以前当教室のブログでご紹介
した松谷武判氏も、後期メンバーの一人です。


リーダーの吉原治良が掲げたグループのモットーはただ一つ、
「これまでにないものをつくれ」でした。
「具体」のメンバーだった元永氏もまた、この世に存在
しない作品しか作ろうとしない人物だったようです。


この「具体」グループを、高く評価し、世界に紹介したのが、
フランスの美術評論家ミシェル・タピエ(Michel TAPIÉ)
 でした。

当時のフランスは、Michel TAPIÉ等が提唱するアンフォルメル
(非定形)芸術の時代でした。
1957年来日したタピエは、日本で「具体」グループの芸術と
出会い、その質の高さに驚き、絶賛の言葉を送っています。

当初タピエは、日本でアンフォルメルを紹介し、何かしようと
提案するつもりだったようですが、来てみると、質の高い
「具体」の芸術が、既にしっかりと存在していたというのが、
事実のようです。

戦後わずか10年程の日本に、
こんなにも才能と気骨に溢れた若い芸術家たちが多出した
ことも嬉しいですし、それが阪神間で生まれたというのも
嬉しいことです。

ちなみに元永氏は、1977年にはフランス(カーニュ)の
国際美術展に出展、1988年にフランス政府より芸術・文芸
シュヴァリエ章を受賞されています。
私事ですが、80年代の半ば筆者も、当時のフランス総領事の
お伴をして氏の逆瀬川のマンションに伺ったことがあります。
25年くらい前のことですから、残念ながらどんな話が出た
のか全く覚えていません。

元永さんは、昨年10月に他界されたと聞きました。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

そして、彼の作品がそれを見る者に、元気と勇気を与え
続けるよう祈っています。
閉塞感に包まれた今の時代にこそ。

ミシェル・タピエの「具体へのオマージ」の
一部を引用しておきます。

Hommage à Gutai
Michel TAPIÉ, 1957
J’ai cru depuis longtemps qu'un " groupe vivant"
était impensable aujourd'hui: un groupe n'est
rien d'autre que troupeau de stériles moutons
autour d'un prétendu berger.
Or, en cette ère de la contradiction, c'est le fait
de Monsieur Jirô YOSHI d'avoir magistralement
réalisé depuis quatre ans cet impensable.


「具体へのオマージュ」
「生き生きとしたグループ」などはあり得ない。
グループというのは、自称羊飼いのもとに集まる、子供を
産まない羊の群れに他ならないと、長年思っていた。
しかしこの矛盾に満ちた時代に、ヨシ・ジロー氏は4年前
から、このあり得ないことを立派に実現していた。
 - ミシェル・タピエ 1957 -
(資料;ホームページ「具体」より抜粋)

                   (2012年6月5日)

posted by yoko at 10:21| デクヴェルト広場

2012年03月24日

シベールの日曜日

梅田のとある街角で、フランス映画「シベールの日曜日」の
看板を見つけました。地味な看板でしたが、不思議に目に
とまり、懐かしさにかられ観に行きました。
 
dimanches ville avray escalier.jpeg
あらすじ:
インドシナ戦争の折に、パイロットだったピエールは、
ある村を爆撃した時に、一人の少女を殺してしまったと思った。

その時襲撃され、記憶を失ったたピエールは、今は看護婦の
マドレーヌと一緒に暮らしている。

ある日彼はヴィル・ダヴレの駅で12歳の少女フランソワーズ
(本当の名はシベール)と出会う。彼女の父親は、少女を
修道院の寄宿舎に入れ、まるで厄介払いをしたかのように、
急ぎ足で立ち去ってしまう。

戦争で人生を台無しにされた青年と、親に捨てられた少女は、
すぐに理解し合う。
後日修道院に行ったピエールは、父親に間違われ、
彼女を外に連れ出す。それを機にふたりは毎日曜日、
一緒に湖のほとりで時を過ごすようになる。

ふたりの間には純粋な友情が育っていく。しかし世間一般の
人に理解してもらえるはずはない…

             *    *    *

この映画のみどころの一つは、ふたりが日曜ごとに遊びに
来る、ヴィル・ダヴレの湖の美しい風景でしょう。
万華鏡のように変わる光と影の遊びや、広がる水の波紋、
精霊が宿るという木々…
ひとつひとつのシーンに詩情があふれています。
そしてさらに効果をあげている白黒の映像。

ちなみにこの映画の原題は、「ヴィルダヴレの日曜日」です。

余談ながら、ヴィル・ダヴレはパリからヴェルサイユに
行く途中にある小さな町です(パリの南西にあたる)。

画家のコローはここに別荘を持っていたので、頻繁に滞在しに
来たらしく、あの湖は 「コローの湖」だと登場人物が語って
います。

・フランソワーズと呼ばれている少女の本名はシベール 。
ギリシャ系の名前なので、カトリックの修道院ではいやがられ、
フランスソワーズと呼ばれています。
彼女がクリスマスのプレゼントとして、ピエールに教えた
名がCybèle。
シベールはsi bell(発音は同じくシベル)に通じる素敵な名前で、
とてもきれいの意味です。
(ピエール役のハーディ・クルーガーも映画の中で同じことを
言っていたので思わず同感!)

・冒頭シーンが印象的でした。
飛行機の爆音、アジアの小村、逃げまどう人々、そして悲痛な
叫びをあげる少女のアップ。
その飛行機の爆音が、汽車の音となって次のシーンに移って
いきます。

そして、すべてがここから始まります。
ピエールの苦悩が、ヴィルダヴレの日曜日が・・・

そんな意味では、この映画は、詩的な映像で綴った
反戦映画と言えるでしょう。


フランスには時々、こういう美しい反戦映画やシャンソンが
あります。特に1950年代・60年代頃のフランスの特徴
かもしれません。

そういえば、Déserteur(戦争棄避兵または脱走兵)で
有名なボーリス・ヴィアン(Boris Vian)も、ヴィル・ダヴレの
生まれではなかったでしょうか。

シベールの日曜日
原題:Les Dimanches de Viile d’Avray (ヴィルダヴレの日曜日)
監督:セルジュ・ブルギニョン(Serge Bouguignon)
撮影:アンリ・ドゥカエ(Henri Decaë)
原作:ベルナール・エシャスリオー (Bernard Echasseriaux)
主な出演者:ハーディ・クルーガー、ニコル・クールセル、
パトリシア・ゴッ ジ
制作年:1962年

参考にしたフランス語を引用しておきます。
Pilote de guerre en Indochine, Pierre croit avoir
tué une petite fille en bombardant un village.
Quelques années plus tard, sur le quai de la gare
 de Ville-d'Avray où il accompagne son amie
 Madeleine, il rencontre Françoise, une fillette
 de 12 ans, abandonnée par sa mère et que son
 père a placée dans une institution religieuse.
Se faisant passer pour lui, Pierre prend l'habitude
de la sortir tous les dimanches. Une tendre et
pure amitié s'établit entre eux. Mais les braves
gens s'inquiètent...



                    (2012年3月24日)

posted by yoko at 10:52| デクヴェルト広場

2011年06月15日

松島征氏を悼む

2011年6月12日フランス文学者松島征氏が、
69歳で逝去されました。

早すぎる、そして突然の旅立ちに、残された者は
羅針盤を失ったような戸惑いを感じています。

日本のフランス文学界は大切な人を失くしたことと思いますが、
氏はシャンソン界にとってもまた大切な人でした…

心からご冥福をお祈りいたします。


松島氏との出会い

1977年、私は知る人ぞ知るシャンソン愛好家石井宏巳氏と
出会い、ごく自然な形で、神戸日仏協会で月に1回シャンソンを
聞き、語る会が始まりました。

1〜2年後に、この会は大阪に所在していたフランス語学校
リエゾン・フランス=ジャポンに席を移し、毎月ひとつのテーマの
もとに担当者が、シャンソンのバックグランウンドや、歌い手の
プロフィルを解説するという形式をとるようになりました。

その頃松島氏が合流され、3人の当番制になりました。
松島氏のおかげで、シャンソン愛好会が本格的な普及
活動の会に成長してきました。


(続く)
 

(2011年6月15日記)
posted by yoko at 11:00| デクヴェルト広場

ウーバレ・ゴーデンと額装展


「フランス額装」の向井理依子さんの展示会がウーパレ・
ゴーテンの2階で開催中です。

今回はかなり小さなサイズの額が中心だということですが、
作品と額縁とのマリアージ、立体感、リズム感にはいつも
ながら感心されられます。

平面的な写真では、彼女の感性が十分伝えられないのが
残念ですが、一応掲載しておきます。
2011年6月19日(日)まで。

IMG_0402(ブログ用).jpg


 

展示会の会場となっているウーパレ・ゴーデンというのは、
1階はレストラン、2階はギャラリー(多目的ルーム)に
なっている建物の名称で、スエーデン語でOver garden の
意味だそうです。

手入れの良く行き届いた庭を見ながら、有機栽培野菜を
ふんだんに使った食事をしていると、アルプスに近い
フランスのヴァカンス村か、スイスのシャレーにいるような
錯覚に陥ります。

ガラス張りの建物とやわらかな間接照明が作りだす
落ち着いた空間、時々ヴァカンス気分を求めて訪ねたく
なりそうです。

食べ物のことは別の機会にしっかりと話したいと思います。

電話:0798-32-2567
http://www.ugi.jp

IMG_0417ブログ用.jpg

{2011年6月14日)
posted by yoko at 00:25| デクヴェルト広場

2011年06月08日

音楽の祭日


「音楽の祭日」の日本事務局からお知らせをいただきました。

音楽の祭日(Fête de la Musique)は、1981年、時の
文化相の提唱でフランスで発足し、各国で実施されています。
日本でも今年10回目を迎えるようです。

日にちは聖ヨハネの祭りにちなみ毎年6月21日{夏至)、
開催内容はプロ・アマ、ジャンルを問わず入場無料の
ライブコンサートであることです。


関係者のメッセージも掲載しておきます。
『今年は関西日仏学館での開催が都合によりちょっと会期
はずれの6月25日(土)になっていますが、充実したプログラム
ですので、土曜日の午後のひと時、ぜひカフェでワインでも
飲みながらお楽しみください。

 なお、6月20日(月)ヒルトン大阪でも、東京と大阪の
アリアンス=フランセーズが共同でフランスからDJを招いて
ロビーで無料パーフォーマンスを行ないます。
(その後、バー/レストランで有料興行を行なうようです)。』



音楽の祭日事務局のホーム・ページ
http://www.mediatv.ne.jp/ongakunosaijitsu/index.html


 
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         今年のポスター

(2011年6月8日記)
posted by yoko at 08:12| デクヴェルト広場

2011年06月07日

ケベック、ルイジアナそしてフランス...

2011年6月4日(土)のシャンソン月例会は、シャンソンに
非常に造詣の深い石井宏巳氏の解説で行われました。
テーマは「ケベック・ルイジアナそしてフランス…」

民謡やコンチーヌ(Comptine/童歌)は、もともとは同じ
ものでも、根付いた地方によってどんどん変化していきます。

今回は、1曲ごとにケベックとフランス版、またはルイジアナ版と
フランス版、アカディ{英語ではアカディア)版とフランス版
というように、フランスを軸にして比較し、他所へ嫁いだ)歌が、
どのように変化したかをみていきました。

時には歌詞だけでなくメロディまでが変貌し、これでも「もとは
同じ歌なのか」と思うようなものもありました。


下は石井氏手作りテキストの表紙
IMG元原稿ブログ用.jpg
上段左から右へ:現在のカナダ国旗、イギリス領時代の
カナダ国旗、盾の拡大図
下段左から右へ:ケベックの州旗と州章、アカデイの旗


なお、次回のシャンソン月例会は2011年7月23日(土)です。

2011年6月7日

posted by yoko at 08:48| デクヴェルト広場

2011年05月19日

津波外交?

東日本の震災については暗いニュースが続きますが、
その中でちょっといい話をみつけました。

Jerusalem Post という英字新聞に掲載された記事
です。筆者が目にしたのは、英語からフランス語に訳
されたものですが、それをさらに日本語にしてお伝えします。


『津波外交?
写真は"Jerualem Post"という日刊英字新聞の1ページに
掲載されたもので、そこにはイスラエルとイランの救助隊が
並んでいるのが見えます。 日本で起こったことです。 
両国とも3月の地震のあと日本に救助隊を派遣しました。


イスラエル救助隊ザカのリーダーが、隊員と共に、任地先で
ある北日本の援助食糧配給所に着いた時の驚きを
語っています。
彼らがその施設に着いた時、そこにはイランの国旗が
はためていたからです。


一瞬お互いの間にきまずさが走りましたが、双方とも政治は
横においておき、人道的な作業に専念しました。』
(RFIより抜粋。)


イランとイスラエルは対立関係にある国ですから、
こういう光景は現地ではありえないでしょう。
残念ながら写真は掲載されていませんでしたが、
是非見たいものです。

イランの国旗が立っている建物にあとtから入って行った
イスラエルの救助隊もえらかったね、とはある受講生の言葉。
確かに勇気がいったと思います。

実際の国際関係も、政治はちょっと横においておいて、平和に
向けて力を合わせるというわけにはいかないものでしょうか。

なおこの文章には続きがありますので、
フランス語の原文を全文引用しておきます。


Quote
Le 4 avril 2011
La diplomatie du tsunami?

La photo figure en premiere page du
Jerusalem Post, quotidien israelien de
 langue anglaise.

 On y voit des sauveteurs israeliens et
l'un de leurs homologues iraniens poser
cote-a-cote. La scene se deroule au Japon,
ou les deux pays ont envoye des equipes
de secours, apres le seisme du mois dernier.

Le dirigeant de l'organisation israelienne
de secours Zaka raconte sa surprise lorsque
lui et ses hommes sont arrives dans la station
de distribution d'aide alimentaire ou ils ont ete
deployes, dans le nord du Japon :
le dapeau iranien flottait sur l'installation.

"Apres un moment d'embarras d'un cote
comme de l'autre, nous avons mis la politique
de cote et nous nous sommes consacres aux
efforts humanitaire", poursuit le secouriste
 israelien.


Rappelons que l'hostilite a Israel est l'un des
piliers ideologiques de la Republique Islamique
depuis la Revolution iranienne de 1979.
Et que l'Etat hebreu considere le programme
nucleaire iranien comme une "menace
existentielle".


Les dirigeants israeliens s'inquietent egalement
du soutien iranien aux Hezbollah libanais et
aux groupes islamistes palestiniens, Hamas
et Jihad Islamique.

Cette question vous est posee pour verifier
 si vous etes un humain et non un robot
 et ainsi prevenir le spam automatique.

Unquote


(2011年5月19日)

posted by yoko at 08:05| デクヴェルト広場

2011年05月15日

ふたつの展覧会


2011年5月15日

東日本の震災後しばらくブログから遠ざかっていましたが、
久しぶりにPCに向います。
皆さまお元気でお過ごしでしょうか。


いくつかのお知らせがあります。

1. ) 伊丹市立美術館で行われている
 ≪陶酔のパリ モンマルトル 1890−1910 
ー Le chat Noir  −≫ 展に行って来ました。
 この時代に花開いた前衛大衆文化にスポットを
あてた展覧会です。

期日:4月16日〜6月5日
伊丹市立美術館 Tel : 072-772-7447


「ル・シャ・ノワール」は1891年モンマルトルに生まれ、
当時そうそうたる芸術家たちの溜まり場となっていた
キャバレの名前です。

CAHT NOIR BLOG用.jpg
(写真は会場のちらしです)

シャンソンの発展にも大きな役割を果たしたキャバレ、
ル・シャ・ノワールについては、ここと深い関わりを持つ
シャンソニエAristide Bruant (アリスティッド・ブリュアン)
と合わせて、後日関連記事を書きたいと思います。


 

2. 松谷武判展  −白と黒の軌跡―

関西を拠点とする前衛美術集団「具体美術協会」のメンバーと
して活躍、在仏40年にわたる美術家松谷武判(たけさだ)氏の
個展が現在神戸で開催中です。

2011年5月18日(水)まで (11:〜19時)
場所:神戸市中央区栄町通1−7 栄町ビルディング3F
Gallery 開(Kai)
Tel: 078-334-7110

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            右端が松谷氏

posted by yoko at 10:38| デクヴェルト広場

2011年04月08日

Annocne du printemps

2011年4月8日


東日本での地震と津波発生から約1か月が経ちました。
昨夜また東日本に強い地震が起こりましたが、津波は
起こらなかったようでほっとしています。
新たに大きな被害が発生していないよう祈っています。



神戸地震の時に、それ程の被害もなかった私でしたが、
崩壊した建物や町の様子に意気消沈し、不安感にさいなまれ、
心の安定を取り戻すのには時間がかかりました。

被災された方たちは今そのような辛い日々を耐えておられる
ことと思います。


最近私は毎朝活動を始める前に、短い黙祷を捧げるように
なりました

亡くなった方のために、
被災されたかたのために、
わたくしたち自身のために、
日本の復興のために...





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posted by yoko at 08:16| デクヴェルト広場

2011年03月20日

サロン・アンモドゥ

地元ミニコミ紙「EN」が作ってくれたご縁でいつもお世話に
なっている苦楽園のホリステックサロン「Un mot doux
さんの月1回のオープンサロンにお邪魔しました。

サロンに入るとと穏やかな香りがたちこめており、
オーナーのKさんご夫妻に迎えられ、先客と
共にお喋りを楽しむことができました。


最近香といえばワインのそれにしか接していなかった
だけに、花や植物の混ざりやわらかく繊細な香に
包まれていると別世界にいるようです。

ついでながらホリステック(holistique)は、ギリシャ語holos
 (全体的の意味)を語源としており、フランスでは
aromathérapie holistique (アロマテラピ・オリスティック)
というと、100%純粋なエセッセンシャル・オイルだけを使い、
身体を全体的にケアすることをさしています。


Un mot doux さんの製品はすべて手作りで、製品名は
すべてフランス語なのも親しみを覚えます。
Nostaligie(ノスタルジ)、ゼフィール (zéphyr)、
cerisiers(さくら)など、手に取ったり香りを楽しんだり
とても癒されたひと時でした。



写真は分かりにくいサロンの入り口
(Kさんのキャプション、そのまま引用)

(2011年3月20日)
posted by yoko at 08:36| デクヴェルト広場

2011年03月15日

東日本の地震


東日本を襲った地震と津波の傷跡があまりにも大きいので
言葉もありません。

神戸地震を知っているわたしたちはもちろん、今日本中の人の
気持がひとつになって、被災されたかたの痛みを分かち
合っていると思います。

一人でも多くの人が救出されるよう、そして被災されたかたが
早く安心して眠れる日がくるよう祈るばかりです。


昨年通訳をしたフランスの会社からもお見舞いメールが届いて
います。

Nous avons appris par la télévision Française
le terrible tremblement de terre et le Tsunami
qui ont frappé le Japon.
 
Toute notre équipe se joint à moi pour vous faire
part de notre plus grand soutien.

Nous espérons que vous allez bien ainsi que
tous vos proches et votre famille.  


Nos pensées vont vers le Japon.
Bon courage à tous.
 
Cordialement, 
 

posted by yoko at 07:56| デクヴェルト広場

2011年03月07日

N子イスラエルに行く(編集後記)


デクヴェルト受講生のN子さんがイスラエルに行きました。

フランスを含むヨーロッパの歴史を理解する上で、イスラエルは
避けては通れない国だと今さらながらに痛感し、彼女と共同で
旅行記をまとめ、3回にわたり連載しました。

何人かのかたから『イスラエル読んでいます。』とか、
『ヨルダン川の洗礼風景にはふきだしました。
普通宗教画では水は足元までしかきていませんから。』
などと言われ、きちんと読んでくださっているかたが
意外に多いということが感じられました。 もう少し続けて
ほしいとも言われ、大変嬉しく思いました。


この番外編は、そいう声にお応えするために組みました。
今回は知られざるイスラエルの側面をお見せするため、
何枚かの写真を選びました。 

DSCF3696ブログ用(2).jpg
   海抜ゼロ地点 (海が見えないよ!) 
地殻変動のため、海抜ゼロ地点が上がってしまいました。
表示がフランス語と英語です(もちろんヘブライ語も)

いなかのバス帝ブログ用(2).jpg
  いなかの(?)バス停。 なにやら可愛い。


もみあげ(ブログ用).jpg
嘆きの壁の前で。もみあげは長ければ長いほど、そして
きれいにカールしてあればあるほど敬虔なユダヤ教徒
だということです。帽子も熱心な信者であることの表れだとか。



DSCF3168ブログ用.jpg
  立派な教会が多い中でみつけたとても可憐なマリア像
  N子さんお気に入りの1枚。

死海の水浴び(ブログ用).jpg
死海の水浴び。塩分が多く浮力が強いためすぐに浮きます。


DSCF3219(おすしブログ用.jpg
     おすしも売っています。


DSCF3356ブログ用.jpg
ペルシャネコのようなイスラエルのノラネコ。 
これもN子さんお気に入りの1枚。
(この国のノラたちははどれも毛並みがつややかでした。)
              

    * * *

イスラエルとういうと、いつも武装している国というイメージを
持っている人が多いと思います。


でも今回1000枚以上の写真を見ていると、イスラエルの
大半の人たちは、決して争いは望んではおらず、静かに
くらしたいと願っているのではないかと思うようになりました。

古代より大国の犠牲になり、翻弄されながら生き延び、
ようやく得た祖国です。 戦いにはうんざりのはずです。

今はまわりすべてをイスラム教国に囲まれ、四面楚歌の
状態にいます。一触即発の状態にいるとき、長く苦しい過去を
持っている彼らが、それをあやうくするようなことはしないのでは
ないでしょうか。

パレスチナ自治区との紛争について、現地に住む日本人の
言葉に重みがありあます。

『実際にはどっちもどっちというところがありますが、報道が
あまりにも偏っているため、いつもイスラエルが悪いと
思われているのが残念です。』


最後に1枚の美しい風景をもってお別れします。
4回にわたりお付き合いしてくださった方、
ありがとうございました。


CIMG0261ブログ用.jpg
 

               (2011年3月7日YM記)

 
posted by yoko at 09:01| デクヴェルト広場

2011年02月24日

N子、イスラエルに行く(3)


連載第3回目)

(第1回、第2回はそれぞれ2011年1月28日と
 2月10日付けのブログに掲載しています。)



イスラエル手書き地図  ブログ用.jpg



今回はいよいよ首都エルサレムの話です。

先ずは全貌を見てみましょう。

CIMG0318ブログ用.jpg

(写真上)オリーブ山からみたエルサレムの町

(ひとこと解説:イスラエルは1948年パレスチナの土地に建国
されました。

第二次世界大戦でナチスによって600万人もの同胞を殺された
ユダヤ人に国際世論が同情的になり、『ユダヤ人独自の国を
つくりたい』という主張に耳を傾けるようになりました。

ユダヤ人にとっての聖地はエルサレム。彼らは古代ユダヤ
王国があったこの土地に自国をつくることを目指しました。


しかしそこには既にアラブ人が住んでいて、土地を明け渡す
ことに抵抗しました。これが土地をめぐる紛争の始まりです。

国連はパレスチナの土地を「ユダヤ人」の国と「アラブ人」
の国に分割し、「エルサレム」を国際管理とすると制定し、
ユダヤ人の地にイスラエルが建国されました。

しかし実際はその前に、当時パレスチナを管理していた
イギリスが、アラブ人とユダヤ人のそれぞれに国をつくると
約束してしまったために争いが起こり、手に負えなくなった
イギリスが国連に丸投げし、国連がこの案を出したのが
実情のようです。




CIMG0516ブログ用.jpg

嘆きの壁。ローマ軍によって破壊されたユダヤ神殿を囲む
西壁のひとつ。祈りの場は男女別に仕切られています。
この裏に岩のドームがあります。



CIMG0522Blog.jpg

岩のドーム。イスラム建築最古の建物でイスラム教の聖地。
中にはムハンマド(マホメッド)が飛翔した時の足跡が
残っているらしいですが、中には入れませんでした。




DSCF3500ブログ.jpg

DSCF3498 分離壁ブログ用.jpg

上の2枚の写真:分離壁
パレスチナ自治区とイスラエルはこれにより隔てられています。
分離壁を通る時には軍の検問を通過します。
(落書きが何か救いになります。)



DSCF3661聖墳墓教会ブログ用.jpg

聖墳墓教会。
イエスが十字架を背負って歩かされたというVia Dolorosa
(ヴィア・ドロローサ/悲しみの道)の最終地点で、
イエスはこの場所で亡くなり復活を遂げました。

これはある貴族が自分のお墓をイエスに提供した
ものなのでとても豪華です。



DSCF3426生誕教会ブログ用.jpg

3426
ベツレヘムの生誕教会。
ベツレヘムはパレスチナ自治区にあります。

ここと聖墳墓教会は三つの教会団体が共有して
いるため、しばしばいざこざが起こります。
ミサも別々に一時間ごとに交代で行われています。



CIMG0763マサダブログ.jpg

マサダ
ローマとの戦い(第一次ユダヤ戦争)の際のユダヤの
最後の砦。

西暦70年に3万人のローマ軍により追い詰められた
967人のユダヤ人が奮闘し、3年間の籠城後ローマの
奴隷になるよりはと自決を選びます。

ここはノーモア・マサダというスローガンを生み、
二度と同じ悲劇を繰り返さないという決意を
ユダヤ人に与えた場所です。


ひとこと解説: しかしこの後もローマ帝国の支配は続き、
ユダヤ人たちの間には反ローマ感情がくすぶっていました。

2世紀になりバル・コクバの乱が蜂起しますが、再び
失敗します(第二次ユダヤ戦争)。

その鎮圧後ローマはユダヤ人をイスラエルの地から完全に
追放します。そしてエルサレムはアエリア・カピトリーナ
と改めされ、ユダヤと呼ばれていたイスラエルの土地は
「パレスチナ」と改められます。



飛散を余儀なくされたユダヤ人はヨーロッパや中東、
北アフリカなど地中海周辺諸国に移り住むようになります。

これが現在にまで続いている長い迫害と流浪の歴史の
始まりです。

ーFin −

参考資料: 
・池上彰のイエラエル解説、
・ 「シオンとの架け橋」の会発行の資料、他
 

今回で連載は終わり、次回は番外編として
「イスラエル編集後記」をお送りします。

感想やコメントがおありのかたはお気軽に
info@decouverte.jp にお寄せください。

       

(2011年2月24日YM記)

posted by yoko at 02:30| デクヴェルト広場

2011年02月21日

もうひとつの知らせ


フランスつながりでいつもお世話になっている
夙川のフランス雑貨と音楽の店『アンサンブル』の
Kさんも仏検2級に合格されました。

Kさんはデクヴェルトの名誉会員みたいなもの
ですから一緒に喜びたいと思います。

Felicitations !

2011年2月21日
posted by yoko at 23:54| デクヴェルト広場

2011年02月20日

嬉しい知らせ

2011年2月19日、
夕方6時過ぎに受講生のMYさんから
電話がありました。
会社員なので、帰宅してすぐに電話をしてくれたのだなと
ピンときました。

「とおりましたね?」
「はい。とおりました!」

MYさんは昨年の秋の仏検準1級を受験。一次・二次試験を
パスし、本日合格通知が届きました。

仏検は、2級くらいから難度も増し、1ランク上がるのに相応の
実力が必要となります。

頑張りましたね。おめでとうございます。

 
posted by yoko at 05:38| デクヴェルト広場

2011年02月15日

雪の夙川

夙川に雪が降りました。
ほのかに浮かび上がる教会の塔

IMG_0293(ブログ用).jpg


                                                        
  2011年2月14日
posted by yoko at 02:10| デクヴェルト広場

2011年02月10日

N子、イスラエルに行く(2)


(2011年2月10日)
デクヴェルトの受講生N子さんがイスラエルに行きました。
1月28日の第1回旅日誌に続いて、第2回イエス・キリストの
ゆかりの地『ガリラヤ湖編』をお届けします。

 

ガリラヤ湖は、海抜―213mに位置するイスラエル最大の
淡水湖で、この国の重要な水源になっています。 ここは
イエス・キリストが伝道し、数々の奇蹟を起こした地です。


DSCF2788ブログ用.jpg

ガリラヤ湖の夜明け
とても神秘的できれいです。ガリラヤ湖クルーズではゴラン
高原が見えます。ゴラン高原の高原のワインはとてもおいしい
そうです。


(編集ノート;古代ワイン産地だったイスラエルが高品質の
産地として復活し、注目を集めています。

特にゴラン高原と高地ガリレア、低地ガリレアを含む北
イスラエルは高品質ワインの生産に適した地方と考えられて
いるようです。

何しろノワやモーゼの時代に既にワインを作っていた国
ですから話題は尽きませんが、こちらはまた別のくくりで
お話しましょう。)



CIMG0144ブログ用(2).jpg

 (写真上) 

ペテロの召命教会と聖書の舞台。ガリレア湖を歩いていた
イエスが漁師のペテロとアンデレ兄弟と出会い弟子にした場所です。



DSCF2950ブログ用.jpg


聖ペテロの魚(フランス語ではSaint-Pierre 鯛の1種)。
ペテロが魚釣りをすると口に銀貨をくわえたこの魚が釣れました。
味はとても淡白で身もふっくらしていておいしいのですが、
味がなく日本から持って行ったお醤油が大活躍でした。



DSCF2916カペナウムブログ用(2).jpg

(写真上)カペナウム(ガリレア湖の北)のシナゴーグ

シナゴ−グとは元は聖書の朗読と解説の場のことで、
ユダヤ教の教会のようなものです。

写真は紀元数世紀まで存在していたシナゴーグで、更に
その下にイエスが説教したとされるシナゴーグの土台石があり、
カペナウムの二重になった遺跡(シナゴーグ)として
知られています。


ここでイエスは百人隊長のしもべや、熱病で寝ていた
ペテロの姑などを癒しました。しかしこれらの活動にも
かかわらすカベナウムの人たちが悔い改めなかったので、
イエスはこの町は滅びると予言しました。
現在、預言どおり町は滅び、廃墟となっています。

 


DSCF3023ブログ用.jpg

(写真上)
ベトシャン遺跡(ガリラヤ湖の北東部)
エジプトへ通じる隊商の通り道にあり、古代から軍事経済上の
重要な拠点でした。 ローマ時代の円形劇場や大浴場が残って
います。 地震によって崩壊したが保存状態は良く、子供たちの
遊び場にもなっています。



CIMG0197ブログ用.jpg

ヨルダン川。イエスが洗礼を受けたのはもっと下流らしい
ですが、今はヨルダン地域になっています。イエスが浸ったのと
同じ水ということでここで洗礼を受ける人もたくさんいます。

 

DSCF2866(ブログ用).jpg


イエスの時代のオリーブオイルを搾るための石臼。
写真はオリーブを潰す臼で、もうひとつオリーブを搾る臼と
セットになっています。かなり大きいものです。
最初に取れるのはバージンオイルといい、
神に捧げられました。


(スタッフより)ガリレヤ湖の周辺には、イエスにまつわる
教会や遺跡が本当に数多く残されていますが、ほんの
一部しか載せられません。

今回の最後にN子さんが町なかで取った可愛い写真を
掲載しお別れします。 


CIMG0260ブログ用.jpg

小さくて見にくいですが、日本車にマリア様のステッカー、
なんだかいい感じですね 
                                (次回に続く)

posted by yoko at 09:25| デクヴェルト広場

2011年01月28日

N子、イスラエルに行く(1)

(連載第1回)
デクヴェルトの受講生で大学生のNWさんが1月上旬に
イスラエルに行きました。

パリのフォブール・サントノレを歩いていたら似合いそうな
N子さんとイスラエルのミスマッチにひかれて聞いている
うちに、どんどんと話に引き込まれていきました。

イスラエルは歴史的にも民族的にも政治的にも
宗教的にも複雑な国で、聡明なN子さんも「毎日勉強をしないと
ついていけない」ような、知的好奇心全開の旅だったようです。


旅程:テルアビブ着。ヤッフォから、地中海を見ながら
北上し、アッコ〜ハイファを経てガリラヤ湖へ。
その後エルサレムから死海を経由し、イエス・キリストの
生誕地ベツレヘムへ。

(イスラエルシリーズは、N子さんのコメントをもとづき、
スタッフが書き下ろしています。)


(地中海側)

地図ブログ用.jpg



旅の出発点ヤッフォは、後のローマ法王となる聖ペテロが
ガリラヤ湖でイエスと出会ったあと伝道に出る起点の町です。

アンドロメダブログ用.JPG

写真上は、地中海に面するヤッフォの展望台から見た
アンドロメダの岩。

ギリシャ神話で有名なアンドロメダはエチオピアの王女ですが、
母のカシオペヤ王妃が娘の美しさを自慢したため海の神
ポセイドンの怒りを買い、怪物に捧げられることになります。
しかしあわやというところで天馬でやってきたペルセウスに
助けられるという話で、ドラクロワを始め数多くの画家が
この話をテーマに絵を描いています。

伝説ではペルセウスはその後アンドロメダと結婚して、
ペルシャの王家の創始者になります。

そう、アンドロメダ伝説の岩は地中海にあったのです!
この神話が示しているように、ここで、西欧とアフリカと
中東が出会っています。

地中梅はさまざまな民族や文化のひしめき合う地域であり、
その複雑な地域の要(かなめ)の位置にあるのが
イスラエルです。
出発地点で早くもこのことが実感されます。


DSCF2715ブログ用.jpg

ローマの導水管。テルアビブ〜アッコ間にあるカエサリア。
ヘロデ王により建てられローマ総督府がおかれていたこの
町には、今も導水橋や円形劇場、競技場が残っています。



CIMG0088ブログ用.jpg

海の中の遺跡。地中海に面する十字軍の町(アッコ)。
この地域は十字軍のテンプル騎士団によって築かれた町です。

遠方に左右に伸びる堤防のような線は城壁跡で、それに囲
まれた町がありましたが、水位があがったため海の中に沈んで
しまいました。

(テンプル騎士団は第1回十字軍の終了後
11世紀にヨーロッパからエルサレムに行く巡礼たちを守る
ために設立されましたが、14世紀に壊滅しています。)


DSCF2569ブログ用.jpg


ある日の朝食。乳製品が中心です。

ユダヤ教には、食事に関する厳しい戒律があります。
肉は反芻するものと、割れたひずめの動物のものなら
食べてもよいが、条件にしたがって屠殺したものであること。
血抜きがしてあること(そのため肉はパサパサだそうです。)

魚はうろことひれのあるものなら食べてもよいが、甲殻類、
カキ、イカは駄目。

乳製品と肉類を一緒に出すことは許されず、どちらかを食べ
たら何時間かおかないともう一方を食べてはいけない、
etc, etc… (ふー、ユダヤ教徒でなくてよかった!)

DSCF2752ブログ用.jpg



DSCF2758ブログ用.jpg

市場。魚と野菜がたくさん売られています。イスラエルは
国の60%が砂漠地ですが、主な歳入元は食物の輸出、
自給率は90%と、とても生産性が高いです。
一時期流行ったスウィーティーもイスラエルが主産地です。

                       (次回に続く )

(2011/01/28 YM記)

posted by yoko at 20:35| デクヴェルト広場

2011年01月24日

ル・バリューシュ

「1929年パリに5人のミュージシャンがいました。
かれらはミュゼット・ダンス・バンドとしてコンサートを重ね、
多くの若者の心をとらえていきました。パリでは彼らの
バンド名が合言葉のようにささやかれていました。
《ル・バリューシュ・ソーグルニュ》と。
しかし1929年7月、彼らに嫉妬した男がパリ20区の
メニルモンタンのバルにいた彼らをクロロホルムで麻酔、
地下室に冷凍してしまいました。
彼らが目をさましたのは、男が心臓発作でこの世を去った
1935年8月からさらに70年の歳月を経た2005年
5月10日のことでした。」

ル・バリューシュという5人グループのミュゼットのCDを
ゲットしたら、こんな一瞬凍りつくような解説がついていました。
ミュセットは1920年代にはやった早いテンポの3拍子の
ダンスミュージックです。冷凍からよみがえった(?)彼らの
演奏もいいし、ヴォーカルの女性の前世紀風の声と歌い方も
いい感じです。

ところで彼らがその後どうなったかは、フランスの音楽と
アンティックの店アンサンブルににおたずねください。

デスクブログ用.jpg
       Le balluche de la saugrenue
                                                                 (2011年1月24日)
posted by yoko at 19:43| デクヴェルト広場

2011年01月20日

シャンソン月例会

2011年1月22日に行われるシャンソン月例会では、
『パリの一日』というテーマのもとに、パリにまつわる
シャンソンを取り上げます。
ジャク・デュトロンのスタンダードナンバー
『5時、パリは目覚める』 (Il est 5 heures,
Paris s’éveille)』を皮切りに、フランスのジャズ
ピアニスト、ジャク・ルーシエがピアノ伴奏を務める
レアもののパリ・カナイユや現代風にアレンジされた
ミュセットなど、ごくポピュラーなものをお届けする
予定です。カフェ・クレームが似合う午後になりそうです。


(2011年1月20日)

posted by yoko at 12:42| デクヴェルト広場

2011年01月10日

ベナンからの便り

モロッコからの便りに引き続き、今度は西アフリカの
ベナンにいる元教え子のY.K.さんからメールがきました。
彼女はJICAの青年海外協力隊の一員として、
アボメーという町の保健センターで仕事をしています。
 
「ここの人たちはたくましく生きています。とくに、私の住んで
いるアボメーという町のフォン族は気性の荒い民族みたいで、
普通の会話なのにけんかしてるみたいに聞こえます。
でもここの人たちはみんないい顔をしていると思います。」
(−本当にいい顔してますね。)
 
名前が書けたブロク用.jpg

    中学校で名前の書き方を習いました。

予防注射ブログ用.jpg
  街角での予防接種の風景です{左端がYKさん)



洋服やブログ用.jpg

   洋服屋の見習いの子供たち。1日20円で働いています。

「食べ物は、おいしいです。トマトソースがベースで、
それで魚や鳥、ウサギなどを煮込みます。
トウモロコシ粉のパテのようなものが主食ですが、
ご飯もよく食べます。フランスパンもあります。
(写真はソースを作っているところです。料理は
炭か薪でしますが、Kさん宅はガスだそうです)
ベナン料理ブログ用.jpg


ベナンの公用語はフランス語ですが、それについては、
「フランス語が公用語のはずですが... アボメーは
フォン語(現地語)発祥の地で、生活はほとんど
フォン語です。フランス語もフォン語の直訳のため、
意味がわからないこともよくあります。
挨拶は”Tu as fait un peu?"といい 
"J'ai fait un peu." と返します。ちょっとずつ
働いてたくさんになったときに人生が終わるそうです。
こんな感じの言い回しがたくさんあります。」

(-興味深いです。フランス語が発音も言い回しも変化して
いるため、フランスに旅行して、全然通じなかったとショックを
受けて帰ってくる人もいるというのも新鮮に感じられました。)


                                        雨期

ベネン雨季ブログ.jpg

 ここは雨期は水上集落になります。
例年より雨量が多く、屋根まで水がきました。


「今は、病院でのストライキが続いていて週に2回しか職場に
行けていません。ボーナス未払い待遇改善のためですが、
今年3月に大統領選挙があるのでそのパフォーマンスも
兼ねています。 公立病院が閉鎖されているので途方に
暮れる住民もいて、早く解決されることを祈るのみです。」
 
(-この人たちの生き生きとした笑顔が消されることのない
よう、心から世界の平和を祈らずにはいられませんでした。
Kさん、貴重な近況報告をありがとうございました。)
                                                                        

2011年1月10日
posted by yoko at 15:12| デクヴェルト広場

2011年01月03日

砂漠の夜明け

砂漠の夜明けブログ用.jpg

サハラ砂漠の年明け


















受講生のA.I.さんから次のような年賀メールを
受け取りました。
「明けましておめでとうございます。
年末よりモロッコに来ています。カサブランカから入って
大西洋を望みながら北東へ移動し迷宮の街フェズを経て
アトラス山脈を越えてサハラまで来ました。永年の夢で
あったサハラ砂漠の日の出は素晴らしかったです。
 
旅行前はモロッコの大地は荒涼とした単調な風景を
想像していましたがフェズ周辺はオリーブが沢山あって
緑豊か、アトラス山脈は目まぐるしく景色が変わり、
絶景の連続でした」 (A.I. 記)

砂の上の真新しい足跡... 今年の第1ペーを飾るのに
ふさわしい写真かと思います。

本年が皆様一人一人にとって素晴らしい発見と感動の
1年となるようお祈り申し上げます。

2011年1月3日 デクヴェルト
posted by yoko at 23:40| デクヴェルト広場

2010年12月24日

光のクリスマスイブ

キャンドル ブログ用.jpg

苦楽園・夙川のキャンドル・ナイト「光の散歩道」
(キャンドルでつくられた小径)より
幸せなクリスマスイブをお祈りします。
    2010年12月24日 Découverte à Shukugawa
posted by yoko at 23:14| デクヴェルト広場

2010年12月01日

パリのクリスマス


P1080211ブログ用.jpg 


Joyeux  Noël !
posted by yoko at 13:05| デクヴェルト広場