2015年08月30日

ジャズとシャンソンの出会い/La rencontre entre le jazz et la chanson

シャンソンと言うと、日本では戦前・戦後の恋の歌ばかり、と
思っている人がまだまだ多いようですが、シャンソンというと、
フランス語で歌われている歌すべてをを指します。したがって
フレンチポップはもちろん、ロック、レゲイ、ラップなど現代の
ジャンル、さらに民謡(chanson  folklorique)ど伝統的な
歌も網羅しています。

その中でもジャズとフランスとの縁は深い、と筆者には思え
ます。
ジャズの故郷と言われ、1722年にルイジナ州の州都となる
ニュー・オルリンズは、1718年、フランス系の移植者たちに
よって建立され、その名もフランスのオルレアン公にちなんで
Nouvelle Orléans(新オルレアン)と名づけられました。

1910年頃には、この地域では黒人の人口が65%以上を
超えます。ヌーベル・オルレアンは芸術・音楽の激動地となり、
ブルースやジャズが台頭、ルイ・アームストロングやシドニー
・ベケットなどのジャズ界の巨匠を生み出すことになります。
参考に、フランスのシャンソン歌手クロード・ヌーガロの
レパートリーの中にも、≪Armstrong ≫というタイトルの歌が
あります。

French Quater.jpg
 (写真はニュー・オルレアン French Quater)


その後1930年代には、フランスにゆかりの深いギタリストの
ジャンゴ・レインハルト(Django  Reinhartd)が、ジプシーの
伝統音楽とスイング・ジャズを融合、マヌーシュ・スイング、また
はジプシージャズと呼ばれる音楽ジャンルを確立しています。

            *******

ジャズをシャンソンに導入した人と言えば、シャルル・トレネ
(Charles Trenet)、ボーリス・ヴィアン(Boris Vian)、
アンリ・サルヴァドール(Henri Salvador),  セルジュ・
ゲインスブール(Serge Gainsbourg), クロード・ヌーガロ
(Claude Nougaro), ジルベール・ベコー(Gilbert Bécaud)
など枚挙に暇がありません。

 
その中で、今日は特に≪ Le Jazz et la java ≫ を取り
上げます。

Dave Brubeck と言えばTake Five” で有名なジャズの
大御所ですが このアルバムの中に、"Three to get ready"
というハイドンの一節をテーマにした1959年発表の曲が
はいっています。

これをフランス人のClaude Nougaro (クロード・ヌーガロ)が
取り上げ、フランス語の歌詞をつけて歌ったのが、"Le Jazz
et la Java"  (1962年)で、アメリカから来たジャズとフランス
生まれで下町代表のジャヴァのせめぎ合いをテーマにして
います。 ジャヴァは早いワルツの(8分の6拍子)ダンスミュー
ジックで、必ずアコーデオンが入ります。

 
Youtube のアドレスを記しておきますので、お聞き比べください。

1.Brubeck (Three to Get Ready)
https://www.youtube.com/watch?v=xmaC4WwspS4

2.Claude Nougaro (Le Jazz et la Java)
https://www.youtube.com/watch?v=zmRgXOw1o3A

3.さらにこれをごく最近(多分2012年)、実力派女性歌手の
ZAZ(ザズ)が歌っています。ストリート出身のZAZは、溢れる
パワーと魅力に溢れる生きのいい若手歌手です。


この時のZazのバンドには、ジャズを象徴するドラムと、
ジャヴァを象徴するアコーデオンの両方がはいっているので、
 珍しいドラムとアコーデオンの二重奏が楽しめます。
少々短いのが残念ですが。

ZAZ 0367.JPG

歌詞の一部だけ引用しておきます。
Le Jazz et la Java – Paroles de C.Nougaro

 Quand le jazz est
 Quand le jazz est là
 La java s'en
 La java s'en va
 Il y a de l'orage dans l'air
 Il y a de l'eau dans le gaz
 Entre le jazz et la java


 
参考資料:
Wikpedia – Nouvelle Orléans
Django Reindhartd
生きているジャズ史:由井正一
New Orleans 写真ソース :eventityinc.com

    (2015-08-30 YM)

posted by yoko at 18:16| シャンソン

2015年08月21日

Boris Vian - LA JAVA DES BOMBES ATOMIQUES / 原爆のジャヴァ

シャンソン作詞家、小説家、劇作家、俳優、ミュージシャン
(ジャズトランペット奏者)、翻訳家、エンジニア、そして
パタフィジシアン...
サンジェルマンデプレの鬼才ボーリスヴィアンは、39歳の
若さでこの世を去りました。駆け抜けた、と言うほうが
あたっているでしょう。

彼が書き残した数多くのシャンソンの中で、今日は特に
「原爆のジャヴァ」を取り上げたいと思います。戦後70年、
そして原爆投下後70年を忘れないために。

ユーモアとエスプリに満ちたこのシャンソンは、軽快な
ジャヴァのリズムに乗って、原爆とそれとめぐる人間の愚か
さを痛烈に揶揄しています。1955年に書かれながら、なぜか
この歌は古びてはいません。喜ぶべきか悲しむべきか...


Auteur de chansons, romancier, dramaturge,
acteur, musicien (trompettiste), traducteur,
ingénieur et encore pataphysicien…, Boris Vian,
enfant prodige de Saint-Germain des Prés des années
50 a conn sa mort prématurée à l'àge de 39 ans.

Parmi ses nombreuses chansons, je voudrais citer
tout particulièrement "La java des Bombes
atomiques", à l'occasion de la70ème anniversaire
de  la fin de la Guerre.

A travers cette chanson, pleine d'humour et d'esprit,
l'auteur se moque sévèrement, au rythme joyeux
de java, les bombes atomiques et les  sotises de
personnalités qui les entourent.

Ecrite en 1955, elle ne se fait pas sentir du tout vieillie
aujourd.hui.

  (Fiat le 15 août 2015, à l'occasion du 70ème anniversaire
  de la Fin de Guerre)
Boris Vian __.JPG

原爆のジャヴァ
 
歌詞は非常に長いので、ポイントのみ訳して
おきます。
   
     大意
僕のおじさんは、日曜大工で有名
アマチュアだけど原爆をつくっている
おじさんは爆弾Aや爆弾Hを製造しているが、
問題はその射程半径が3.5 メートルしかないことだ
おじさんは、毎日改良に改良を重ねる。
だんだんと年を取っていったおじさんは、
自分の脳が、もはや脳ではなく
ホワイトソースだと言う


射程範囲が小さい、それならばとおじさんは
一計を思いつく。
実験が終局に近いことを知った大国の首席たちが
おじさんの小屋に集まった。
彼らが小屋に入ると、おじさんは
すぐさま彼らを閉じ込めて、
「おとなしくするんですよ」と言った。
そして爆発... あとには何も残っていなかった。
こんな結果を前にしても、おじさんは
臆せず、大馬鹿を演じた。
法廷ではぼそぼそと、
「皆様、これは恐ろしい偶然です。
私は良心の命じるままに、
神の前で誓いますが、
あれらの性悪たちを退治して、
フランスの役に立ったと思います。」


人々は困惑し、
彼に死刑の宣告をし、
それから大赦を与えた。
彼に感謝した国家は、
彼をただちに政府の首席にした。

(Youtube)

LA JAVA DES BOMBES ATOMIQUES

Mon oncle un fameux bricoleur

Faisait en amateur

Des bombes atomiques

Sans avoir jamais rien appris

C'était un vrai génie

Question travaux pratiques

Il s'enfermait tout' la journée

Au fond d'son atelier

Pour fair' des expériences

Et le soir il rentrait chez nous

Et nous mettait en trans'

En nous racontant tout


Pour fabriquer une bombe " A "

Mes enfants croyez-moi

C'est vraiment de la tarte

La question du détonateur

S'résout en un quart d'heur'

C'est de cell's qu'on écarte

En c'qui concerne la bombe " H "

C'est pas beaucoup plus vach'

Mais un' chos' me tourmente

C'est qu'cell's de ma fabrication

N'ont qu'un rayon d'action

De trois mètres cinquante

Y a quéqu'chos' qui cloch' là-d'dans

J'y retourne immédiat'ment

        

         U

Il a bossé pendant des jours

Tâchant avec amour

D'améliorer l'modèle

Quand il déjeunait avec nous

Il avalait d'un coup

Sa soupe au vermicelle

On voyait à son air féroce

Qu'il tombait sur un os

Mais on n'osait rien dire

Et pis un soir pendant l'repas

V'là tonton qui soupir'

Et qui s'écrie comm' ça

 (この部分異なるヴァージョンあり)



A mesur' que je deviens vieux

Je m'en aperçois mieux

J'ai le cerveau qui flanche

Soyons sérieux disons le mot

C'est même plus un cerveau

C'est comm' de la sauce blanche

Voilà des mois et des années

Que j'essaye d'augmenter

La portée de ma bombe

Et je n'me suis pas rendu compt'

Que la seul' chos' qui compt'

C'est l'endroit où s'qu'ell' tombe

Y a quéqu'chose qui cloch' là-d'dans,

J'y retourne immédiat'ment



        V

Sachant proche le résultat

Tous les grands chefs d'Etat

Lui ont rendu visite

Il les reçut et s'excusa

De ce que sa cagna

Etait aussi petite

Mais sitôt qu'ils sont tous entrés

Il les a enfermés

En disant soyez sages

Et, quand la bombe a explosé

De tous ces personnages

Il n'en est rien resté


Tonton devant ce résultat

Ne se dégonfla pas

Et joua les andouilles

Au Tribunal on l'a traîné

Et devant les jurés

Le voilà qui bafouille

Messieurs c'est un hasard affreux

Mais je jur' devant Dieu

En mon âme et conscience

Qu'en détruisant tous ces tordus

Je suis bien convaincu

D'avoir servi la France

On était dans l'embarras

Alors on l'condamna

Et puis on l'amnistia

Et l'pays reconnaissant

L'élu immédiat'ment

Chef du gouvernement


   (2015-08-21 YM)

posted by yoko at 20:41| シャンソン

2013年01月13日

レオ・フェレ没後20周年催事

友人に、今年2013年は、歌手のレオ・フェレ(Leo Ferré)の
没後20周年に当たる年なので、フランスのどこかで、記念
催事の予定はないのかと尋ねられました。

レオ・フェレ(1916.8.24 〜 1913.7.14)はモナコの生まれ、
詩人で歌手で音楽家で、シャンソン界の大物のひとりでした。
フェレの名を知らない人でも、フェレの作った歌なら知って
いる人が多いのではないかと思います。


   Ferre pr Blog.jpg
 

日本で最も有名な彼の歌は、やはり1953年の「パリ・
カナイユ(Paris Canaille)」でしょう。 彼自身や、イブ・
モンタン、ジュリエット・グレコ等が歌っていますが、筆者の
個人的お勧めは、カトリーヌ・ソヴァージュ(Catherine
Sauvage)が、天才ジャズピアニストJacques Loussier
の伴奏で歌うパリ・カナイユです。

フェレの没後20年周年の催しとしては、大きなものがマル
セイユのAxel Tourskyという劇場で行われるようです。

Grande Nuit Léo Ferré 
日時:2013年7月14日(日) 21時
場所:Théâ tre Axel Toursky
16 Promenade Léo Ferré
13003 Marseille
contact@toursky.org
http://www.toursky.org

7月14日には、何人かの個性の異なるアーティストが参加し、
レオ・フェレの詩的で哲学的なテーマや優れた音楽性、
さらには彼の大きな業績にオマージュを捧げます。

丁度この日はフランスの革命記念日の7月14日祭
なので、相当な盛り上がりが期待されます。

                 (2013年1月13日YM記)

posted by yoko at 16:45| シャンソン