先日西宮の大谷美術館で行われている美術展
「対話する美術/前衛の関西」を見てきました。
丁度デクヴェルトの6月5日付けのブログに、元永定正氏の
ことや、彼の母体となった具体美術協会のことを書いた直後
だったので、大変いいタイミングで、戦後から現在に至る関西の
現代美術の一断面をかいまみることができました。
7月8日には、松谷武判氏のアートドキュメンタリー・シリーズの
3作目「MATSUTANI 3 」の映像鑑賞と、作家本人による
アフタートークの会が催されました。
アフタートークでは、松谷氏は、
「具体美術協会」が結成された当時の空気感や、
元永定正氏を介して吉原治良氏に出会ったきっかけ、
何故ボンドを使って作品を創るようになったのかといういきさつ、
そして、フランス政府給費留学生としてフランスに行き、そこに
とどまった理由と心情などを、終始実に率直に話されました。
『戦争でほとんどが壊されたが、人間はこわされなかった』
と、氏は語ります。戦後自由を求める時代の中で、
吉原治良氏の率いる具体美術協会は生まれました。
1950年くらいにはもう存在していたそうです。
吉原氏は『人の真似はするな。新しいものをつくれ』の
姿勢を徹底的に貫いた人でした。
厳しい人でもあり、若いアーチストが自分の作品を見せに
行くと、外国から取り寄せた美術雑誌の、たとえばセザールの
ページを開き、「こんなのがあるよ」と見せることがあった
そうです。つまり、既に似たようなものが存在しているという、
ことでした。
まだ内面的な自己が確立していない若い画家が、何か
新しいものを創造しようとうととすると、素材に走るしか
なかった、と松谷氏は続けます。
こうして氏は当時世に出始めたビニール接着剤(ボンド)を
使い、作品を制作し始めました。
松谷氏は1937年生まれ、1963年に具体美術協会の
会員となり、66年秋にフランス政府給費留学生として
渡仏します。 (次回に続く)
展覧会「対話する美術 / 前衛の関西」は、
西宮市大谷記念美術館で開催中。
期間:2012年6月9日(土)〜7月29日(日)(水曜休館)
(2012年7月23日)