デクヴェルトの土曜サロン(テーマに基づいて議論)について、CFKメンバーの村田恵三先生(理学博士・大阪市大名誉教授・ソウル大学他客員教授)から次のようなメッセージをいただきました。
デクヴェルトが常々考えている「話し・伝える」ことの大切さを、非常に平易な言葉で突いておられるので、原文のままご披露させていただきます(ご本人の許可は頂いています。)
『松原さんの話を非常に嬉しく思ったのは、日本人が語らな過ぎると思っていたからで、それに一石を投じてみたい人がいないかと思っていたからです。
研究室に、日本人の学生と留学生がいたとします。そこに外国人の客が来たとします。物理的に輪を作って議論の場になっても発言するのは客と留学生ばかり。そういう情景を容易に想像できると思います。 これではダメです。
フランスに居た時、毎昼にcantine(注:食堂)にグループで食事に行きました。皆、それぞれしゃべります。黙っていればKeizoお前はどう思う?なんてまず言ってきません。喋らなければ、それっきり無視されるだけです。どうやれば会話の流れの中に入って行けるか? なあに遠慮することはない。流れなど気にせず割り込むことだ。そうすると、皆、こちらを振り向きます。そしてこちらへのrespect(注:尊敬)が始まります。
話をしない人は、控え目などという「美徳」で尊敬をされることはまずありません。高速道路への路側からの割り込みは流れを見て入らないと危険ですが、話の割り込みは、「ところで」、で入ればまず問題なく、そして間違っても命にかかわりません。だから、強引に割り込んで、自分の存在を示すことです。
次に、日本人の割り込みは、同意が多いことも、フランス人に一目置かれないことですよね。ほぼ同意であっても、細かいところを探してでも、ここがお前と違うというidentityを示さねばなりません。
それと、アメリカだったように思いますが、幼稚園の頃から、show and tell という訓練をするようです。何でもよいから家にあるお宝、たとえばおばあさんの大切にしているものを持って来て、それが如何に大切なものか、その由来など も含めて、人を説き伏せる訓練をするようです。これは大事なことだと思いま す。大人になって如何に役立つものか?
高等学校教育に取り入れてもよいようにも思います。
show and tellは人を惹きつけて話すよい遊びだとおもいますが、やはりテクニックだけではなく、中身が問題になるわけです。debateというのもそのようなことを考えさせます。日頃、目にするもの、耳にするもの、社会現象、政治、歴史、自然現象、すべ てに自分の考えを持つことを心がけることは物凄く大事に思えます。』
(投稿日:206年11月19日)